前回のブログでも書いたように、最近近所のディエゴ君がお手伝いに来てくれています。
とても真面目な子で、学校からパンデミックの間に出された宿題も全て終えてしまい、時間があるから働きたい直々に頼みに来ました。
労働はさせてあげれないので、お手伝い程度の事を頼むのですが、「じゃぁ朝7時からお願いね」と頼んでも6時半くらいに来て働き始めてしまいます。
普段後回しにしがちな軽作業をお願いできる人ができて、私たちも非常に助かっているのですが、最近の悩みの種は彼の母親。
ディエゴにお昼ご飯を持ってくるという口実で下の子(8歳)と一緒にうちに来て、「学校の資料をダウンロードしなければいけないからネットを使わせて欲しい」と言います。
それならと承諾するのですが、そのあとも携帯に張り付いたまま動画を見てケラケラ笑っていて帰る様子がありません。
彼女と彼女の息子がゲームに没頭しているためネットの速度が落ち、私たちの休憩時間はまともに調べ物すらできない状態に。
ディエゴが昼食を終えて仕事に戻っても帰らず、私たちも仕事に戻らなければいけないのにソファーにどっしり座って動きません。
彼がこっそりブレーカーを落とし、停電を装って帰ってもらいましたが、連日こんな日が続いています。
相手もいい大人なので、子供のように注意するのもなんか変な話ですし、しばらくはディエゴに「昼食後に手伝いにきて」とお願いして様子を見ようと思います。
極め付けは帰り際のこの発言。
「ねぇ、みかんちょうだいよ(Dame mandarinas)」
何かを頼むときは親しい間柄でもpor favor(英語だとplease)をつけるのがコロンビアでは常識。
Por favorなしだと、要求に近い言い方です。
昨日はマンゴーをどっさりあげたばかりなのに…。
彼女たちが帰ったあと、アルレックスがここの地元の人たちついて教えてくれました。
私たちの住む集落は貧しい人が多く、“貰うこと”や“助けてもらうこと”に慣れてしまっている人が多いそうです。
無料で農業に関するセミナーを開いてくれるという話があっても
「で、何がもらえるの?」と一番に尋ねるそうです。
そして何も物がもらえないと分かると参加しないんだそう。
現状を抜け出そうとか向上しようという精神が全くなく、その話を聞いた時、横井研二さんの話が頭に浮かびました。
彼は日本人とコロンビア人のハーフで、両国で暮らした経験から学んだことを南米を中心に講演している方です。
『貧乏だから与えてもらって当然という考えは有害』
その通りだと思うんですよね。
コロンビアはキリスト教人口が多いこともあり、誰かを助ける為に寄付や募金を積極的にする人がたくさんいます。
助け合う、分け合うという素晴らしい文化がある一方で、受け取る側がそれを当たり前だと思ってしまっているのって…結構問題じゃないですか?
ブレーカーを落としたアルレックス、
「これって悪いことかな?」と私に聞いてきましたが、正直私も正解が分かりません。
Wi-Fiくらいいいじゃんwケチwwと思う人もいると思います。
でも彼らの為にも、それが当たり前のことだと思って欲しくないのです。
そもそも私たちも彼女らのように裕福ではありませんし。
村の人たちの為に色々やりたいと考えていましたが、まずはこのマインドを変えてもらわない限りには、何をやってもプラスにはならない気がしてきました…。
コメント