今回もEl Colombianoの記事を和訳しました。
El Colombianoは私が住んでいるアンティオキア県のメディアなので、コーヒーのトピックでもよく近くの村が取り上げられていて興味深いです。
今回の記事の舞台であるベネシアも隣村でたまに遊びに行きますが、どんどん近代化されつつもとても綺麗な街ですよ(^ω^)
前回行った時おいしいコーヒー屋さんも見つけたので、今度行ったらブログにまとめようかな。
さて今回の記事、今までで一番お気に入りです。
主役はコーヒーピッカー。
彼らがどんな労働条件で、どんな環境で働いているかが詳しく書かれています。
記事内にある様に、多くの労働者は音楽を聴きながら仕事するのが大好きです。
ラジオを持ち込んだり、農園が特大のスピーカーを所有しており音楽を流していたりします。
うちの向かいの山にある農園がまさにそうで、朝早くからいつも爆音の音楽が聴こえます(^ω^;)
そして記事内の支払いの点で一点補足。
今まで労働者への支払いは現金手渡しが主流でした。
労働者には高齢、字が読めない、田舎育ちでデジタル化についていけない、など様々な理由からお金は全て現金でやり取りしている人が多くいます。
しかし農園内で多くの現金が配られ、村にその現金を手に遊びに出かけるというのはセキュリティ上とても危険で、現に毎年収穫期になると泥棒や強盗などの被害が増えます。
今回コロナウイルスの影響をきっかけに、給料配布を振り込みや送金などに移行していくことになりました。
これは治安維持にもつながるのでとてもいい変化だと思います。
前置きが長くなってすみません。
是非今回の記事、コーヒー片手に収穫作業を想像しながら読んでみてください。
いつものコロンビアコーヒーがより一層美味しく感じられるかもしれません。
↓元記事
パンデミック渦中に赤い金を摘む
アンティオキア県での収穫が始まった。
コーヒーピッカーたちはこの難しい年を乗り越えようとしている。
午前11時半、アンティオキア県南西部ベネシアにあるエルバンコ農園の食堂はガラガラ。
人の足の形をしたマークや、何らかのソーシャルディスタンスを保つ為のサインの代わりに、コーヒーチェリーが置いてあった。
チェリーは全て黄色で同じ大きさをしており、床や椅子、机に距離を取って並べられていた。机は夕暮れどきにしか埋まらない。
この時間はみんな農園で作業中なのだ。
1年前の同時期には、これらのコーヒーチェリーは食堂にはなかった。
新品の手洗い場や、ウイルスを拡散しないための最低限のルールの注意書も以前はなかった。
更に宿舎の収容人数は8人から4〜5人に縮小。収穫期が過ぎて、貴重な赤く熟した実が地面に落ちてしまうことがない程度にできるだけ最小限の労働者を集めている。
100万本ものコーヒーの木を保有しているエルバンコ農園には、毎年250人もの労働者(コーヒーピッカー)が集まる。
今日では収穫が始まったばかりの為80人しかいないが、今後更に労働者が必要なことは目に見えており、厳重な注意を払うことが感染予防の鍵となるだろう。
ルイス•エドワルド•ロドリゲスはフレドニア出身だ。
彼はコーヒーの木に囲まれて育ち、12月に咲いた花が9ヶ月かけて緑色の実からさくらんぼの様に赤く熟れるまでの工程を完璧に知っている。
彼はエルバンコ農園で監視役をしており、症状のチェックなどを含む様々なコントロールを受けたコーヒーピッカー達が到着できるよう手続きを行う仕事を担っている。
80人のピッカーの記録と毎日の体温測定を管理するのも彼の役割だ。
「今3つのグループがあり、宿舎を分けています。1つは約25人もの地元のグループ、もう一つは海岸沿いから来たグループ、更にトリマ県オルテガからのグループです。」
労働安全技術者だと語る彼は、コロナウイルス渦中の収穫期に計画を立てるというのは大きな学びであったと語った。
他に変更された点といえば、給料の支払いだ。
同じ週末に給料を受け取った労働者たちが同時に村に殺到しない様、ピッカーへの支払いをずらすことにした。
銀行システムの利用は新たなチャレンジであり、収穫期の休日に労働者が押しかける飲み屋やクラブが開いていないこの状況で、現金手渡しでない支払い方法を実践する教育の機会となった。
ウーバーイーツなどのカラフルなバッグを背負った自転車やバイクを用いた配達サービスが発達した以前に、コーヒー農園には既に“ガリテロ”と呼ばれる人がいる。
ガリテロは、雨の日も風の日もコーヒーを摘むピッカー達の為に、ラバの背中に朝食や昼食を積んで配り歩く仕事だ。
「おーいトリマ県の人たち!早くしないと昼食抜きだぞ!」
小道の端からガリテロが叫ぶと、朝から収穫作業をしていた男女が向かいの山から姿を表す。
彼らは収穫した袋の口を結び、測定が行われる秤の近くに置いておく。
ここは時給制ではない。摘んだ分だけ給料が貰えるシステムなのだ。
まだ収穫のピークではない今は、1キロあたり600ペソ(17円)支払われる。
この時期、一日で60キロ(36,000ペソ/1023円)摘むピッカーも居れば、150〜180キロ(108,000ペソ/3071円)まで摘めるピッカーもいる。
その中から食事代(3食)として一日15,000ペソ(426円)支払わなければいけない。
収穫が始まった山の中からの風景は、全て均一で無限大だ。
流行りの音楽が流れ、まだ熟した実が少なくたくさん収穫できない事への文句と笑い声で一日が流れていく。
それぞれに収穫する列が振り分けられている為、ピッカー同士が近づくことは難しく、ソーシャルディスタンスはここでは問題ない。
カルロス•マドリガルは18歳。生まれ育ったトリマ県のオルテガから500km離れたアンティオキア県ベネシアまで、15日かけて同郷のグループとコーヒーを摘むためにやってきた。
背は低いが、一番大きな袋を肩に担ぐ事ができる。
「今はまだ収穫できる実は少ないけれど、ピークになれば朝5時から夕方4時まで働いて300〜350キロ(210,000ペソ/5972円)は摘めるよ。」
以前にも収穫経験があるこの若者は、パンデミックの唯一の影響は週末に村に遊びに行くのに制限ができた事くらいだと語る。
交通費を負担しなければいけない上に、家に稼ぎを持ち帰りたい地元以外のピッカーたちは、より多くの収入を得るためによく働く傾向がある。
44歳のメルバ•ロメロもそのうちの一人だ。トリマ県オルテガ出身で、去年はアンティオキア県コンコルディアでピッカーとして働き、この2020年は夫と地元の仲間たちと共に経済危機を乗り越える為に再び戻ってきた。
アンティオキア県の海岸沿いの街コルドバ出身のマリア•マルティネスは48歳で、コーヒーを摘む速度同様に早口な女性だ。
彼女は娘のルス•エルミニアと一緒に働き、5年前に同県の南西部を訪れた際にコーヒーピッカーの仕事に出会ったのだという。
生まれ故郷のコルドバではコットンを摘む仕事をしていた。
「私たちは働く事が好きで、数年前に何度か訪れた後にここに土地を買うことを決め、木造の小さな家を建て始めました。今のところコーヒーの出来はそこまで良くありませんが、やることは沢山ありますし晴れでも雨でも関係ありません。家では子供たちが食べ物を待っているのですから。」
メガネをかけマスクをし、日除けのためにキャップを被ったマリアはこう語った。
収穫期ではない時期は田舎で日雇い労働者としての仕事を探すのだという。
トリマ県出身でもコルドバ出身でもアンティオキア県出身でも、全員が実が真っ赤に熟す2週間を心待ちにしている。その2週間の間は一日の収穫量が2〜3倍になり、食事の固定費を抜いても手取りで500,000ペソ(14,230円)稼ぐ事ができる週なのだ。
ベネシアの書記長であるフアン•ダヴィッド•レストレポ氏は、コーヒーは地域経済の回復にとって重要な存在だと話す。
コーヒー生産者とコーヒーピッカーは、クリスマスプレゼントを開けるのを楽しみに待つ子供の様に収穫を心待ちにしている。
今のところまだ収穫のクリスマスは来ていないが、ノベナスが始まった頃といったところだろう。
*ノベナスはキリスト教の行事。12月16日から24日までの9日間、イエスの誕生を待ち望むヴィジャンシーコという歌を歌う習慣があります。詳しくは過去のブログをご覧ください↓

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